明治44年8月10日滋賀県野洲郡中主町にて小作農の長男として生まれる。9歳にて両親と死別。 京都東山今熊野神社前「西田青果店」に丁稚奉公に出る。
昭和11年27歳の時、青果業以外の商いをする約束で、暖簾分けの許しをもらい独立。西田青果店のニシダを継承「ニシダや」設立。 約束に従い、創業当時は漬物、乾物、氷業、佃煮、ETCコンビニの配達付の様な商売を始める。
昭和14年12月14日結婚長男庄蔵長女二三子をもうける。
昭和18年太平洋戦争召集。激戦ビルマへ徴兵。
昭和21年復員。出兵中に子供が麻疹にて死亡。産めよ増やせの勢いで昭和22年次女靖子。昭和24年次男安太朗。昭和27年三女静子。御歳45歳にて三男満三朗。合計6人作成。 復員後、漬物業を主に研究を重ね、大原名産しばづけにヒントを得て本来の茄子が主であった漬物を、胡瓜にチェンジしニシダやオリジナル製品「おらがむらしばづけ」を完成。 当社登録商標意匠登録も安右衛門の考案である。
昭和45年安太朗次男結婚を期に現役を引退。相談役になる。生涯仕事を趣味に「お辞儀のやっさん」と人から言われ、何一つ贅沢をしない生活を送り朝は午前3時起床し午後6時夕食まで仕事の虫であった。毎日生活のリズムを崩さず、ビール2本冷酒2合を楽しみに昭和63年7月22日夕刻。人生最後のビール2本冷酒2合を飲み入浴後人生を全うした。76歳          


辻村安右衛門
創業当時店風景

1949年5月18日午後11時30分3,700gで生まれる。小雨交じりの夜だったそうです。父安右衛門が戦争で2児を亡くした後の男子誕生に喜ぶ。子供の頃は病弱だったが10歳から柔道を習い以後体質改善に成功健康になる。京都府立洛東高校卒業後家業ニシダやへ就職現在にいたる。昭和45年大阪万国博覧会の10月10日に結婚一男二女をもうける。2000年3月次女が就職子育て終了。近隣が清水焼き発祥の地に恵まれ陶芸を始める。店頭試食皿は二代目安太朗の作品である。まだまだ駄作であるが誉められると直ぐにプレゼントする癖あり。お気に入りがあれば誉めて持って帰ってください。






      
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